JUFA 全日本大学サッカー連盟

デンソーカップ
元日本代表・岩政大樹氏を迎えて講演会を実施
2019/03/14


『第33回デンソーカップチャレンジサッカー 堺大会』の開幕前日となる2月28日に、全選手参加の講演会が行われました。講演会のテーマは『勝ち残るために僕が考えたこと」。講演者は、東京学芸大学出身の元日本代表・岩政大樹氏です。


 岩政氏は鹿島アントラーズで9年間活躍し、タイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCなど数々のクラブを経て、先ごろ現役引退を発表したセンターバック。氏はまた、東京学芸大学在籍中には本大会に参加し、第17回・大分大会ではMVPも受賞しています。

 参加者にとっては、大学サッカー出身の元プロ選手という身近な存在である一方、15年の長きにわたり、プロとしてサッカー第一線の現場で活躍してきた大先輩。そんな岩政氏が15年間、プロサッカー選手として“勝ち残る”ためにどのようなことを考え、実行したのかを語りました。



 山口県・岩国高校時代にはプロになることなど考えていなかったという岩政氏。しかし東京学芸大に進学すると、蹴球部では1年次からレギュラーとして活躍。選抜選手にも選ばれ、本大会をはじめとする全国大会を経験するうちに、プロサッカー選手になることを意識するようになったといいます。

 大学卒業後、晴れて鹿島アントラーズに加入した岩政氏ですが、すぐにチームメイトのプレーが「読めない」ことに驚かされました。「巧いわけでもない、スピードがあるわけでもない自分は、相手のプレーを“読む”ことで勝負してきたつもりだった」といいますが、プロではそれが通用しなかったのです。

「このままではプロとして生きていけない。そう感じたことが、僕のプロとしてのスタートでした」

 「毎日、“どうしたらいいんだろう”と考え続けた」結果、岩政氏が下した決断は「“読み”をやめよう」ということでした。「本当に巧い選手はプレーの最後の瞬間に判断を変えることができる。そういう選手と対戦するときに、読みにこだわっていても意味がない」というのがその理由です。

 その代わりとして取り組んだのが、“セオリーとビジョンづくり”。相手がボールをもったときに自分がどうすればいいのかを考え、ひとつひとつのプレーに対してセオリーやビジョンを作ることでした。

「相手のプレーを“読む”のではなく、先に自分が相手の前の立ち位置を決める。そうすることで、相手にセカンドオプションをつくらせない」。

 岩政氏は相手のプレーを“読む”守備ではなく、“セオリーづくり”で相手のプレーを限定し、そこに味方の選手をうまく配置するように守備のやり方を変えていきました。



 次の克服ポイントは“チームへの順応”でした。岩政氏は当初、監督はもちろん、中心選手やベテランの要求にできるだけ応えることでチームに順応しようと考えていました。けれど、そうすると自分のリズムでプレーができない。自分のリズムでプレーのできなかった半年間は、試合にも出られませんでした。そこで岩政氏はまたもや考え「先輩たちの言っていることを、無視しよう」と決めました。

「自分のリズムを作るということは、自分の中で判断基準を作るということ。それまではなんとなく50%・50%くらいで順応していこうと考えていたけれど、自分は不器用なのでうまくできなかった。だから、まずは自分のリズムでプレーすることを考えた」

 すると状況は好転。自分のプレーを取り戻したことで周囲の見る目も変化し、出場機会を得ることに。出場試合に連勝したことでレギュラーを獲得し、以降、鹿島を去るまでの9年間、試合に出続けることができたのです。

 岩政氏の話はまだまだ続きます。鹿島でレギュラーの座を掴んだ岩政氏は、次に「鹿島を日本一のチームにする」との目標を掲げてプロ2年目を迎えました。「では、日本一のセンターバックには、どうすればなれるのだろう」。岩政氏はまたもや考え始め、あるポイントを見つけ出します。

「プロは結果がすべて。プロになる前までは才能やテクニックが評価されることも多いが、プロになったらとにかく結果が評価される」と気づいた岩政氏は、守備面では「ポジショニングを極める」ことに注力。また攻撃面では「得点を取ること」にこだわり、セットプレーからの得点パターンを徹底的に分析しました。その結果、毎年リーグ戦・カップ戦あわせて6~7点は挙げられるようなったといいます。



 当時同じポジションで活躍していた田中マルクス闘莉王選手や中澤佑二選手の名を挙げ「華やかさでは彼らに及ばないが、ポジショニングを極めて得点を取り続け、タイトルに貢献できれば、日本一のセンターバックに近づくのではないか、と考えました」と、岩政氏。

 その言葉どおり、2007年に鹿島は6年ぶりにリーグ戦優勝。鹿島はさらに2008年、2009年と優勝し、岩政氏は鹿島を史上初となるJリーグ三連覇に導きました。また個人としても日本代表に招集され、『2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会』に参加するなど、「鹿島を日本一のチームにする」という目標を見事に達成させたのです。



 目標を達成したという手応えを得た岩政氏は、そのあと「人と違う人生を歩み、幅広い経験がしたい」として、2014年にタイのBECテロ・サーサナFCに電撃移籍。わずか1年の在籍ながら中心選手としてチームをカップ戦優勝に導くと、翌年、慰留されながらも帰国。今度はJ2のファジアーノ岡山に移籍してJ1昇格を目指すなど、常に新しい経験、新しい目標を目指してプロ生活を駆け抜けてきました。

 しかし、そうしたプロ生活の根底にあったのは、常に“考える、答えを探し出すこと”でした。プロ生活をスタートしたときに立ちはだかった壁。その原因を考え、突き詰めることで克服すると、その後も自分のプレーを振り返り、疑問点を洗い出し、考え、解決策を導き出すことで厳しいプロの世界を生き残ってきました。

「プロになりたいという若い選手の多くは“試合に出て活躍したい”、“点を取りたい”という“現象”を口にするけれど、その方法論や、具体的にどうすればいいかまで考えていない。点を取りたい、と言う割にボールに寄ってきてしまい前線にいない選手とか、相手に対していい立ち位置が取れていない選手はたくさんいる」

 岩政氏は、会場にいる選手も含め“プロを目指す”選手たちにそう警鐘を鳴らします。

「だからこそ、“どのように”するのか、“なぜ”そうなるのか、を突き詰めることが必要。Whatではなく、HowやWhyを考える習慣をつけて、どんどん物事を掘り下げていってほしい。毎日の練習が終わったときには、その練習をサンプルにして、“このとき、自分はどうしたらよかったんだろうか”という仮説を立て、次の試合に解決策を試してみる。その繰り返しが自分のプレーの掘り下げになる」

 15年間のプロサッカー選手生活の中で、数々の目標を達成してきた岩政氏は、そんな言葉で講演を締めくくりました。